问:“生死事,乞师一言。”师曰:“汝何时死去来。”曰:“某甲不会,请师说。”师曰:“不会须死一场始得。”

五灯会元卷五·神山

评唱(寿康大海):

ヒトは死にたくない、と言うと、生存本能と言えるのであれば、死に向かって生きていることは、好奇心旺盛な知的本能と言えよう。

大体の場合、知的欲求は、生存欲求に勝てやしない。だが、稀に、知的欲求に満ちた人間がいる。それは宗教的な熱狂者だ。あの世のためなら何でもする、というのは彼らだ。

だが、宗教的熱狂者はほんとに知的欲求によって死に向かわれるのであろうか。それはそうとも限らない。考えて見れば良い。あの世のことを信じているから、死に真っ直ぐに向かえること出来たのだ。

このお坊さんは賢い極まりだったと思う。それはなぜかというと、死に向かう知的欲求は、死ななければ満たされないのだ。死後の輪廻転生、阿鼻地獄など、死んでみないとわからない。余りにも実存主義的だった。だから坊さんはこう言った、「会ずであれば一場に死なずに始めて得られず」とも。

仏教に良いところはそこにあるとおもう。大体の一神教信仰は「信じること」に重んじてやってきた。キリスト教、イスラム教だってそうだ。仏教だけは違う。苦行僧であっても、別に信じなくても良い。否定だってしても良い。ただただ、頑固に頭を回して、何でも探し求めることだけは譲れなかった。

大海於川崎宮前 記


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